「 家族って、どうして選べないの? 」
思春期の頃、そんな風に思ってたことがあります。
友達や恋人は選べるのに、一番身近な親や兄弟はなぜ選べないのだろう?と。
断っておきますが、特に虐待など受けたわけでもなく
むしろ仲の良い両親と兄弟の中で育ってきた私ですが
よくそんなことを考えていました。
今では、ただただ
そういう「ご縁」だったのだなぁと思うばかりです。
好きな人、嫌いな人、ウマが合う人、ソリの合わない人、、、
なぜ私にこの人なのか。
別にご褒美や何かの天罰で引き合わされているわけではないのです。
お互いの状況で、たまたまそのような関係になっているだけのことです。
状況が変われば関係性も変わり、逆の立場にもなり得ます。
ただ今はそういう縁だということです。
「 縁 」
それは人の意志を超えた大きないのちの流れです。
どの場所でどの家族の元に生まれ、
どういう人と関係しどんな人生をたどりどのように死ぬか。
これを全て自分で選んだという人はいません。
家族だけではありません。
友達も結婚相手も、実は自分で選んでるわけではないのです。
縁によって選ばされてるだけなのです。
もう少し生きていたいと思ったって生きられないこともあります。
もう死んでしまいたいと思ったって死ねないこともあります。
縁によって生かされてるだけなのです。
家族どころか、
生まれることも死ぬことも自分で選べない。
エゴ(自我・自力)が効かないのです。
そうであれば、今こうして生きていることだって
自分の意志と言えるでしょうか?
「自分が自分の意志で生きてる」と思う、そのエゴまるごと
じつは縁という大きな力に包まれて動かされていたのです。
そして今も、これからもです。
さて。改めて、ここにこうして生きている。
不思議なことですね。
もう腹をくくるしかありません。
縁に包まれてる私は、縁と一つなのだから。
このご縁、ありがたくいただいていきましょう。
今日も素敵な一日を。